■あたたかい雨

 ぽつり、と肩を叩かれてサギリは俯いていた顔を上げた。
 薄く墨を溶かしたようにして雨雲が広がり、雨粒が零れ落ちてくる。
 「雨・・・」
 上向いたまま、サギリは呟く。
 その口元には曖昧な微笑みを浮かべ、その雨を待ち望んでいたようでもあれば、途方に暮れているようにも見えた。
 「なにやってるんだサギリ。早くこっちに来い」
 先に歩いていたシグレは空を見上げて立ち尽くしているサギリに振り返り、その手を掴んで木の下に避難させた。
 「あークソ。めんどくせぇ・・・」
 ボソッと言って、シグレは鬱陶しそうに服を濡らした雨粒を払い落とす。
 本拠地まであと少しのところで足止めを食らい、舌打ちする。
 「・・・わたしなら、いいのよ?」
 ボサボサの前髪に隠れたシグレの目を覗き込むようにして、サギリは言った。
 多分、シグレ一人だったなら多少濡れても走って本拠地に帰っただろう。
 わざわざこんな場所で雨宿りなどしない。
 「・・・」
 シグレは答える代わりに、懐からキセルを取り出し、火を点けた。
 子供の頃から変わらないはずの、貼り付けただけのようなサギリの笑顔が少し和らいだ気がした。


 
 「雨が・・・・ね」
 「あぁん?」
 静かに雨が降り注ぐ中、微かな呟きにシグレは隣を見やる。
 「あの頃の私の心の中には、雨が降っていたの・・・・」
 ここではない、遠くを見つめる目でサギリは言った。
 「・・・雨が、心の中でザーザー、ザーザー降っていた。その雨があんまり激しくて、周りも見えないし何も聞こえなかった。雨が・・・私を見上げる恨みの眼も、狂おしい悲鳴も掻き消してくれた・・・・。でも、その雨はとても冷たかったわ。そして、私の手を真っ赤に染めていた・・・」
 「・・・・」
 今、彼女は己の過去の罪から目を逸らさず、真正面から向き合うために、王子の傘下に入りゴドウィンと戦っていた。
 そしてかつては自分もそこに身を置いていた、『幽世の門』の暗殺者とも刃を交えることがあった。
 そんな日々は、昔の殺戮者としての自分を思い出させるのかもしれない。
 「でも本当の雨は・・・赤くないのね」
 雨に濡れた自分の手をかざし、サギリは言った。
 シグレは前髪の奥で、顔をしかめる。
 「サギリ・・・やっぱりお前・・・・」
 キセルの吸い口で頭を掻き、『戻れよ』と言いかけるシグレの前で、サギリは濡れた手を目元に押し当てた。
 指先から零れた水滴が頬を伝って落ちる。
 「シグレ、こうすれば私は泣いているように見える?」
 シグレは一瞬言葉を失い、だがすぐに息を吐いて服の裾で乱暴にサギリの頬を拭う。
 「・・・ヘンなことすんじゃねぇ」
 不機嫌に口を歪め、軽くサギリの頭を小突く。
 「でも・・・わたしは泣いてみたい」
 雨雲を見上げたサギリは眩しそうに目を細め、降り注ぐ雨粒を受け止めるかのように両腕を差し出した。
 そんな彼女を、シグレは驚いたように見つめる。
 敵を油断させるため、笑顔で人を殺すよう『幽世の門』で訓練させられてきた彼女は、その組織から解放された今でも笑顔以外の表情を作ることが出来なかった。
 過去に縛られ、流されるように生きてきた彼女が、こんな風に何かを求めることは今までなかった。
 雨雲の奥に隠れた太陽を見透かそうとしているような瞳に、強い憧憬を感じさせた。



 サギリは、変わろうとしている。
 先ほど自分が飲み込んだ彼女への言葉は、シグレ自身の甘さゆえか。
 (・・・情けねぇなぁ)
 自分自身に毒づき、キセルを咥えなおす。
 「・・・雨、止まないね」
 「あぁ・・・って、おいっサギリ?」
 サギリはシグレの相槌も待たずに、雨の中に飛び出した。
 「シグレ、走ろう」
 誘うように手を伸ばし、サギリは言った。
 口元の笑みに、悪戯っぽいものを覗かせて。
 それは、シグレの心情がそう見せただけかもしれないが。
 「ったく、めんどくせぇ・・・」
 そう言いながらも、シグレはキセルの火を消し、雨粒の下に駆け出した。
 
 

 
2006.10.17

SSS(ショート・ショートストーリー)・・・か?
いや、『SS』ってのは、『second story(二次創作)』の略だと聞いたような気もするが。

シグレとサギリの話。
雨がざんざん降っている時に思いついたんだが・・・それっていつだったっけ?
思いついてから書き始めるまでが長かったが、書くのはあっという間の超短編。

この二人って・・・兄妹でいいんだよなぁ?
キャラ設定画で「お兄ちゃん」とか呼んでいたし。
義兄妹かもしれないが。

ふと気づくと、王子が出てこない話は初めてだった。
うわぉ。

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